残業代請求を和解で解決する場合の注意点-和解と賃金債権放棄

公開日:2020年8月11日
  • 残業代請求対応、未払い賃金対応

未払いの残業代等を和解によって解決したと思っても、法律上、有効と認められず、後から従業員から再度未払いの残業代を求められるといった場合が考えられます。このページでは、和解の意味や、賃金債権の放棄が有効となる条件、和解によって未払いの賃金債権等を解決する際の注意点等について、解説していきます。

未払い残業代の請求と和解による解決

従業員・元従業員から未払いの残業代があると言われて、その支払いを求められることがあります。この請求の方法には、労働審判、裁判なども考えられますが、典型的には、話し合いによる解決(和解による解決)が考えられます。以下で、和解の意味や効力等について、ご説明します。

和解の意義と効力

法律上、和解とは、「当事者が互いに譲歩してその間に存する争いを止めること」の約束を言います(民法695条)。和解が成立すると、その和解の内容どおりに、権利がある(または、権利がない)と認められることとなります。これは、実際に権利が存在しているか否かに関係ありません。つまり、仮に権利が存在していないとしても、和解が成立すると、法律上、その和解どおりに、権利が存在すると認められることとなります。一方で、和解で権利がないと合意された部分については、仮に権利が存在したとしても、その和解どおりに権利がないと認められることになります。

このように、和解は、互いの譲歩によって、紛争を解決する手段です。和解が成立することで、和解どおりに、権利の存在・不存在が認められます。そういったことから、和解は、未払い残業代請求の場面でもよく使用される解決方法です。

和解後に紛争を蒸し返すことは許されるのか?

例えば、未払い残業代の請求があった場合において、従業員・元従業員と使用者との間で、残業代の時間の認識が一致せず、その間を取る形で和解が成立したとします。その後、実は、従業員・元従業員が言っていたとおりの残業時間であったことが判明した場合、和解の効力を否定して、紛争を蒸し返すことができるでしょうか。

そもそも和解で協議している事項が真実と違っても、紛争を解決するために、合意するものです。そして、上記のように争いの対象となっている事実について、後から和解内容と違うからといって和解の効力が否定されるとすると、和解によって紛争を解決することができなくなってしまいます。そのため、このような事情では紛争を蒸し返すことができないと考えられています(ただし、後述のとおり、従業員が未払いの残業代を自由な意思で放棄している必要があります。)。

一方で、話し合いの前提となっていた事実について、勘違いをしていた場合は、当事者がこの前提事実について、真実と違っていても紛争を解決するつもりはないことから、和解の効力が否定される可能性があります。

賃金全額払いの原則と賃金債権放棄の関係

賃金の支払いに関しては、「通貨払いの原則」、「直接払いの原則」、「全額払いの原則」、「一定期日払いの原則」といった原則があります。賃金請求権の放棄との関係で考えると、「全額払いの原則」に反する可能性が考えられます。次項では、「全額払いの原則」の説明と賃金債権を放棄することが法律上、有効なのかについてご説明します。

賃金全額払いの原則

賃金の「全額払いの原則」とは、使用者は、従業員に対して、法律で別の定めがある場合、従業員の過半数で組織する労働組合、代表者との間で書面による協定がある場合を除いて、賃金を全額支払わないといけないという原則です。

なお、法律で別の定めがある場合としては、給与所得税の源泉徴収社会険料の控除などがあります。また、協定の場合としては、社宅の賃料の天引き等が考えられます。

賃金債権を放棄することの有効性

上記のとおり、原則として、賃金はその全額を従業員に支払う必要があります。では、従業員が、賃金債権を放棄した結果、賃金の全額を支払わないということは、全額払いの原則との関係上、有効でしょうか。

これについては、従業員が、自由な意思で賃金債権を放棄した場合であれば、全額払いの原則に反せず、有効であると考えられています。ただし、賃金債権の放棄が自由な意思でなされたか否かは、慎重に判断されます。これは、賃金債権が従業員にとって生活のために必要な重要な権利であり、容易に放棄するとは考えられない上、使用者の方が従業員よりも力関係が強いことが多く、従業員が使用者の求めに応じて賃金債権を放棄するおそれがあるためです。

このように従業員が自由な意思で賃金債権を放棄したといえる場合であれば、賃金債権の放棄は有効と考えられます。

賃金請求権放棄の有効性に関する裁判例

ここで、賃金請求権の放棄の有効性に関して争われた裁判例をご紹介します。

事件の概要

本件は、管理本部情報システム部課長等として勤務していた元従業員である原告が、使用者である被告に対し、未払いの残業代(時間外割増賃金)があるなどとして、その支払いを求めた事件です。原告は、うつ病に罹患したことなどから、退職することとなりました。そして、原告は、退職届を書いているところ、この退職届の中に「なお、貴社(注:被告のこと)に対して、労働契約上、何ら債権債務がないことを確認します。」との記載があったことから、原告が被告に対する未払いの賃金債権を放棄したのではないかが争点の一つとなりました。

裁判所の判断(大阪地裁令和元年12月20日 平成29年(ワ)第8270号)

裁判所は、未払いの残業代等があると認めた上で、賃金債権の放棄に関して、次のように判断しました。すなわち、まず、「本件退職届に記載されたいわゆる清算条項(注:上記「何ら債権債務がないことを確認します」との文言のこと)は,実質的に本訴請求に係る時間外割増賃金等を放棄する趣旨を含むものであるところ,このような賃金債権の放棄については,労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときに有効となる」としました。

そして、自由な意思に基づくか否かについては、原告がうつ病に罹患し、無断欠席を継続していたことから、「被告から書面の送付を受けた後に数日程度の時間経過があったとしても,十分な判断能力を備えた状態において検討がされたものではない可能性が」あるとした上で、「本件全証拠によっても,このような賃金債権を放棄することによって原告が得られるそれに見合った利益の存在等を認めることはできない」ことから「合理的な理由が客観的に存在しているとは評価し得ない。」と判断しました。

すなわち、原告のうつ病等を考えると、そもそも時間が与えられたとしても十分に判断できる状況になく、また、原告が未払い残業代を放棄することで得られる利益等もないことから、原告が任意に放棄したとは考えられず、放棄が有効とは認められないと判断しました。

ポイントと解説

本件は、原告がうつ病に罹患しており、十分な判断能力を有するとはいえないこと、原告に未払いの残業代等を放棄する利益がないことなどから、自由な意思に基づかない放棄と判断されました。

本件は、原告がうつ病で十分に判断できないという特殊性はあるものの、未払いの残業代等を放棄する利益がないことも大きな理由になると考えられます。賃金債権は、従業員の生活に直結する重要な権利です。それゆえ、賃金債権を自由な意思に基づいて放棄したといえるためには、放棄するだけの十分な理由が必要となります。

本件が指摘する「原告が得られるそれに見合った利益」だけではありませんが、例えば、労働していない時間に対しても賃金の支払いがなされており、未払い残業代の請求をすると、実質的に過剰な請求になっているなど、従業員が自主的に未払い残業代等を放棄するだけの十分な理由が必要になるでしょう。

和解が「賃金債権の放棄」として問題になり得る可能性

例えば、未払いの賃金として、100万円の請求権があるところ、これを80万円の支払で解決する場合などにおいては、従業員は、賃金請求権を一部放棄していることとなります。このように和解の内容によっては、賃金債権の放棄に当たる可能性が有ります。

上記のとおり、賃金債権の放棄については、従業員の自由な意思に基づいて行われる必要があります。したがって、和解の内容が賃金債権の放棄に当たる場合は、慎重に話を進める必要があります。

和解で解決するにあたって使用者が注意すべき点

一般に、使用者と従業員との関係は、使用者の方が強いと考えられています。そのため、従業員が和解の後に、使用者から和解を強制されたなどと言われる可能性もあり、和解の協議は慎重に進める必要があります。

具体的には、使用者が従業員に対して、和解案の内容やその根拠について十分な説明をすること、協議の経緯が明確になるように、書面による協議や協議の経緯を書面でまとめておくこと、従業員に十分に考える時間を与えることなどが重要になると考えられます。いずれにしても、従業員が自由な意思に基づいて和解をしたといえるような状況で合意を行い、その点の証拠を作ることが重要となります。

よくある質問

未払いの残業代請求権の和解による解決に関し、よくあるご質問について、お答えしていきます。

残業代請求で和解が成立しなかった場合はどうなるのでしょうか?

未払いの残業代請求で和解が成立しない場合、つまり、話し合いによって未払い残業代に関する紛争が解決できなかった場合、従業員・元従業員が労働審判や裁判を起こし、そこで未払い残業代に関する問題の解決を図ることになる可能性が高いと考えられます。

未払い残業代の請求で、労働基準監督署が介入することはありますか?

労働基準監督署は、労働基準法などの法律を守っているかを監督する機関です。そして、未払い残業代があるということは、賃金を全額支払わなければならないという労働基準法に反することになるため、労働基準監督署が、使用者に対して、労働基準法を遵守しているかどうかの調査や是正勧告をすることが考えられます。

しかし、労働基準監督署が、未払い残業代について、その支払いを命じたりすることはできません。

労働基準監督署が「未払い残業代を支払え」という是正勧告を行ったとしても、行政指導の一種であり、法的拘束力はありません。もっとも、是正勧告を無視し続けると、会社が不誠実な対応をしているとして、労働基準法違反で検察庁に送検される等のおそれもあります。したがって、是正勧告を受けても、支払いを拒否するような場合には、弁護士に依頼するなどして、労働者と残業代請求についての解決を図っていることを、労働基準監督署に示すことが必要です。

退職する従業員に、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能ですか?

従業員が残業代を請求しないことを約束する誓約書を書くのであれば、誓約書かせることは可能です。ただし、このような誓約書は、仮に未払いの残業代があるとしても、請求しないという未払い残業代放棄の誓約書に当たると考えられることから、従業員が自由な意思で書いたと認められなければ有効とはなりません。

したがって、このような誓約書を求める場合は、従業員に十分に説明をした上、従業員の自由な意思に基づいて誓約書の作成を求めることが重要となります。

未払い残業代請求における、和解金の相場はいくらぐらいですか?

未払い残業代は、事案によって様々であり、和解金の相場というものは存在しません。したがって、事案ごとに判断するほかありませんが、未払い残業代の場合、残業時間によってその額が大きく異なります。そこで、残業時間としてどれくらいの時間が認められそうか(その結果、どれくらいの未払い残業代があるのか)を踏まえて、和解金の協議を行っていくこととなります。

未払い残業代の請求に時効はあるのでしょうか?

2020年以降に発生した賃金請求権は、5年で時効にかかり消滅するとされています(ただし、当面の間は3年で時効により消滅するとされています。)。未払い残業代は、割増賃金の一つであり、賃金請求権に違いはありませんから、5年(当面の間は3年)の消滅時効にかかります。

したがって、未払い残業代は、発生してから5年(当面の間は3年)が経過すると、時効によって消滅することとなります。

従業員の退職時に、未払い賃金がない旨の念書を取り交わしました。この念書に法的な効力はありますか?

未払い賃金がない旨の念書は、仮に未払い賃金があったとしても放棄に当たる可能性があります。ただし、未払い賃金の放棄が認められるには、従業員が自由な意思で放棄をすることが必要です。そうすると、未払い賃金の協議を何らしていない状況で、未払い賃金がない旨の念書だけが存在する場合では、放棄が認められる可能性は低いでしょう。したがって、法的な効力というのは考えにくいところです。

もっとも、従業員が未払い賃金の請求をした場合、なぜ未払い賃金がないとの念書を交わしたのかという疑問が生じ、未払い賃金を基礎づける証拠の信用性に影響を与える可能性があるなど、一定の事実上の効果は考えられるところです。

賃金債権放棄が無効とされるのはどのようなケースですか?

上記でご説明したとおり、賃金債権は、従業員が自由な意思で放棄した場合に有効と認められるものです。裏を返すと、自由な意思で放棄したとはいえない場合は、無効になると考えられます。

例えば、従業員が賃金債権を放棄する合理的な理由がない場合、使用者が従業員に対して労働債権の放棄を強制した場合などは、自由な意思で放棄したといえず、無効になると思われます。

残業代請求の和解後に「和解は会社から強要された」と主張されました。この場合はどう対処すべきでしょうか?

まず、交渉時点から、その交渉経緯が明らかになるような証拠を取っておくことが有用です。例えば、相手方の同意を得て交渉時のやり取りを録音したり、交渉後、その経緯を書面でまとめたりしておくこと、書面で交渉を行ったりすることなどで交渉時の証拠を取得することができます。

そして、会社から強要されたと主張され場合は、上記のような証拠を用いて、強要の事実がないことを証明していくこととなります。

強要されたと言われずに終わることが一番ですが、強要されたと言われた場合に備えて証拠を作成し、対応していくことが重要です。

和解交渉は口頭よりも書面でやり取りした方がいいのでしょうか?

和解交渉の方法について、口頭と書面には、それぞれメリット、デメリットがあります。 例えば、書面による交渉の場合、その交渉経緯が明確になりますので、従業員が自由な意思で合意をしたと認定されやすくなるでしょう。一方で、書面の場合、細かいニュアンス等が表現しにくく、かえって話が拗れる可能性もあります。

口頭での交渉の場合は、細かいニュアンスを表現しやすいですが、詳細な事項の協議には向かないところがあります。

このように、書面と口頭にはそれぞれ特徴がありますので、状況に応じて使い分けることが適切だと思います。

和解合意書を作成しておけば、再度残業代を請求されることはないですか?

和解をした場合は、その和解の内容どおりで解決するということで双方が納得していることから、通常、再度残業代が請求されることはないでしょう。ただし、和解において話がされていない新たな残業が分かった場合などにおいては、和解で解決していない紛争が存在していたことになるため、再度、残業代を請求される可能性があります。

和解に際しては、他に未払いの残業代等がないかを確認した上で、和解を取り交わしておく方が良いでしょう。

未払い残業代請求で和解による早期解決を目指すなら、経験豊富な弁護士に依頼することをお勧めします。

未払いの残業代等は、残業時間が何時間であったのかによって大きく異なります。それゆえ未払い残業代等の紛争を解決するためには、残業時間が重要となります。しかし、過去の労働時間を判断するのは容易ではない上、使用者の指揮命令に基づいた残業かどうかが争いになり得るなど、残業時間を判断するのも容易ではありません。

また、上記のとおり、未払い残業代等を和解で解決したと思っても、自由な意思に基づかなかったなどと争われて、紛争の蒸し返しが起きてしまうこともあります。

このように未払い残業代等の請求に関する紛争は容易に解決できないことも多々あります。未払い残業代等の請求に関し、お困りのことがありましたら、経験豊富な弁護士に相談・依頼することをお勧めします。

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