パワー・ハラスメントとは、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、その雇用する労働者の就業環境が害されるものをいうとされています(労働総合施策推進法30条の2第1項)。
会社は、職場におけるパワー・ハラスメント(以下、「パワハラ」といいます。)の防止に努めるだけでなく、従業員からパワハラに関する相談を受けた場合、その内容に応じて適切に対処しなければなりません。
それでは、退職した従業員から在職中のパワハラを理由に訴えられた場合にはどのように対応すべきでしょうか。
従業員の退職後にパワハラで訴えられることはある?
従業員がパワハラを理由に会社を訴えるのは、当該従業員が在職中の場合に限られるものではなく、退職した従業員が在職中に受けたパワハラを理由に会社を訴えることも少なくありません。
なぜ退職後に訴えるのか?
退職した従業員が会社を訴える理由として、①在職中は職場おける人間関係などを考えて訴えることができなかった、②パワハラが原因で退職せざるをえなかったため、パワハラの加害者だけではなく会社に対しても不満を持っていることなどが考えられます。
パワハラの損害賠償請求には消滅時効がある
パワハラを理由とした損害賠償請求権は、その法的根拠により異なる下記の期間を経過することにより時効によって消滅します。
⑴ 不法行為(人格的利益の侵害)に基づく場合(民法724条、724条の2)
- 損害及び加害者を知った時から3年(生命・身体を害する場合については5年)
- 不法行為の時から20年
⑵ 債務不履行(労働契約上の付随義務)に基づく場合(民法166条1項、167条)
- 権利を行使することができることを知った時からは5年なお、労働契約の締結が2020年4月1日より前の場合は、10年(改正前民法167条1項)
- 権利を行使することができる時から10年(生命・身体を害する場合については20年)
退職後にパワハラで訴えられたときの会社側の対応
早い段階で弁護士に相談する
退職した従業員からパワハラを理由に訴えられた場合には速やかに弁護士に相談すべきです。会社として適切な主張を行うためには、限りある時間を有効に活用し、事実関係の確認などを進めていかなければならないからです。
事実関係を確認する
当事者に対する直接の聴き取りだけでなく、パワハラを見たり、聞いたりした当事者以外の第三者が存在するのであれば必要な範囲でそのような第三者からも聴き取りを行うべきでしょう。また、当事者間のメールやSNSなどのやり取りが残っていれば客観的な証拠の一部として保存しておく必要があります。
被害者と示談交渉を行う
事実関係を確認した結果、パワハラに該当する場合には被害者である従業員に対し、パワハラに該当することを認めたうえで、謝罪し、解決金として一定の金銭の支払いを提案するといった示談交渉を行うことが考えられます。会社と被害者従業員との間で示談が成立した場合には当事者間において早期に解決を図ることが可能になります。
加害者への懲戒処分を検討する
事実関係を確認した結果、パワハラに該当する場合にはパワハラを行っていた加害者に対し、懲戒処分を検討する必要があります。なお、加害者に対する懲戒処分については、そのパワハラの程度に応じた適切なものでなければなりません。
再発防止策を検討・強化する
事業主には、パワー・ハラスメントを防止するために雇用管理上必要な措置を講じることが法律上義務付けられています(労働総合施策推進法30条の2第1項)。
そのため、①懲戒処分の公表(ただし、被害者や加害者のプライバシーへの配慮が必要になります。)、②ハラスメント防止の啓発活動、②相談窓口の設置やその周知、③就業規則等の見直しなどの再発防止策などに会社として取り組まなければなりません。
パワハラ問題で会社が問われる法的責任とは?
使用者責任
会社は、パワハラを行っていた従業員の使用者であるとして被害者である従業員に対し、使用者責任を負っています(民法715条1項本文)。
パワハラが認められる場合には、会社は、被害者従業員に対し、使用者責任に基づく損害賠償義務を負うことが考えられます。
債務不履行責任
会社は、従業員との間で労働契約を締結しており、従業員に対し労働契約に付随する職場環境配慮義務(ないし安全配慮義務)を負っています。
パワハラが認められる場合にはこの義務に違反したものであるとして、会社は、被害者従業員に対し、債務不履行に基づく損害賠償義務を負うことが考えられます。
従業員の退職後にパワハラで訴訟を起こされた事例
事件の概要(大阪地判平成20年9月11日・平成19年(ワ)第9031号)
おむすびの製造・販売などを業とするY社の取締役統括部長として勤務していたXが、Y社社長から職務に関して違法な言動をされ、著しく精神的な苦痛を被ったとして、退職後に不法行為または労働契約上の債務不履行(職場環境保持義務違反)に基づき慰謝料200万円などの支払いをY社に対して求めたという事案です。
裁判所の判断
裁判所は、以下のような事実を認定したうえで、Y社社長は職務に関して、Xに肉体的疲労及び精神的ストレスを蓄積させ、健康状態を著しく悪化させるような言動を繰り返し行い、その結果、Xは精神的疾患により就労不能になり退職を決意せざるを得なくなった等として、Y社に対し慰謝料150万円の支払いを命じました。
- Y社社長は、Xに対し、Xの能力を質量ともに超える業務に従事するように指示しながら、適切な指導、援助等を行わなかったうえ、業務上の指示内容を突然変更し、また、Xの仕事振りについて、一方的に非難や不快感を露わにするなどの不適切な対応をしていた。
- XはY社での就労によりストレスを蓄積させ、これが要因となって精神疾患になり心療内科の医師から就労不能であり、1か月の自宅療養を要する状態と診断された。
- Y社社長は、上記診断書を受け取った後、Xに対し、しばらく休養することを認めながら、他方で業務上の指示をFAX等で行い、店長会議への出席を求めるなどしていた。
ポイント・解説
パワー・ハラスメントを行っていたのが会社代表者であったこと、自宅療養を要する状態との診断書を受け取った後も業務上の指示等を行っていたことなどが慰謝料額の算定にあたって考慮されたものと思われます。
退職した従業員からパワハラを訴えられたら、なるべくお早めに弁護士にご相談下さい。
退職した従業員からパワハラを訴えられた場合には退職した従業員への対応だけでなく社内における調査や加害者への処分など慎重かつ迅速に対処しなければならない事項が多くあり、日常の業務と並行して適切に対応することは簡単ではないと思われます。そのため、退職した従業員からパワハラを理由に訴えられた場合には、まずは一度弁護士法人ALG&Associatesにご相談ください。早期解決に向けてご尽力させていただきます。
「健康経営」という言葉をご存じでしょうか。「健康経営」とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践すること(経産省HP参照)ですが、従業員への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上等につながると考えが得られています(同HP)。
このような「健康経営」を戦略的に実践するためには、企業全体が組織として、健康経営に取り組む必要があります。
従業員の健康管理は企業経営において重要な課題
我が国は、出生率が低下し、生産年齢人口が減少を続けています。多くの企業において、若年層の採用ができず、労働力の確保が企業経営における重要な問題となっています。全体としての生産年齢人口が減少をする中で、労働力を確保するためには、これまで定年で雇用契約が終了していた高齢者についても、雇用期間を延長して、仕事を続けてもらうことや、人材の流出を防ぐ取り組みが必要となってきます。
従業員の健康状態が悪化すると企業の生産性が低下するだけでなく、人材の離職を招いたり、人材の確保が難しくなるなどの影響が生ずるため、従業員の健康管理を行うことは、現代における企業経営において重要な課題となっています。
従業員の健康的な働き方とは
長時間労働が、過労死やうつ病などの精神疾患、脳梗塞などの疾病の原因となりうることは、広く世間に知られるようになりました。従業員の健康的な働き方としては、まず、労働者の心身に悪影響を及ぼすような長時間労働を避け、適切な労働時間で働くことが重要です。
また、労働時間が長時間に及ばなくとも、仕事内容や職場環境で強いストレスがかかり、従業員の心身を害することもあります。このような仕事内容や職場環境のストレスについては、適切な休暇を取得したり、職場環境を適切に改善することなどで、ストレスを緩和するなどの対策が必要です。
働き方改革の推進と「健康経営」について
「働き方改革」は、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」「育児や介護との両立」などの働く方のニーズの多様化に伴い、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作るために、働く方の置かれた個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにすることを目指すもの(厚労省HP参照)です。
働き方改革を推進するための法律においては、労働者の残業時間の上限規制について罰則を設けたり、企業に労働者の有給休暇を義務付ける規制が設けられるなど、「健康経営」の考え方と共通する部分が少なくありません。
そのため、企業が、適切に働き方改革を推進していくことは、健康経営を実践するきっかけとなるでしょう。
企業が健康経営に取り組むメリット
労働者の心身の健康状態が損なわれている場合、労働者は、十分な能力を発揮できません。企業が健康経営に取り組み、労働者の心身を健康な状態に保つことができれば、生産性の向上、ひいては業績の向上につながるというメリットがあります。
また、生産年齢人口の減少に伴い、労働者にとって、就業先の選択肢はこれからも増えていくことでしょう。健康経営に取り組み、労働者の心身を健康に保つことができれていれば、人材の離職を防ぐことにつながり、また、人材の確保にもつながるというメリットがあります。
健康的な働き方を実現するには組織マネジメントが重要
健康的な働き方を実現するためには、労働時間が適切に管理され、仕事内容や職場環境についても、状況に応じた改善がなされる必要があります。
上記のような管理や改善は、労働者の個人的な努力では対応できるものではなく、企業が組織として、管理・改善を行う必要があります。そのため、労働者の健康的な働き方を実現するためには、組織マネジメントが重要となります。
経営理念の公表と意識改革
企業が、長時間労働の危険性などを理解しつつも、現実には、長時間労働が是正されないという企業は少なくありません。職場環境の問題として取り上げられるパワハラやセクハラの問題についても、問題であることは理解されながらも、現実には、改善されないという企業もあります。
これは、建前としては、長時間労働やパワハラ等はすべきでないが、企業内部の意識として、これを許容する考えが支配的であるためです。
そのため、働き方改革を推進し、健康経営を目指すうえでは、経営理念として、健康経営を目指すことを宣言公表し、企業内部の意識を改革していくことが重要です。
労働時間の適切な管理
長時間労働を抑制するための手段として、使用者が労働者の労働時間を適切に管理することが必要ですが、中小の企業においては、労働時間の適切な管理がなされていない企業が少なくありません。
使用者が、労働時間の適正な把握のために講ずべき措置としては、①タイムカード等により、始業・終業時刻の確認及び記録すること②賃金台帳を適正に記載し、③労働時間の記録に関する書類を保存することが必要です。また、④労務管理を行う部署の責任者が、労働時間管理上の問題点を把握し、その解消を図ることや、⑤労働時間等設定改善委員会等の労使協議組織を活用し、問題点やその解消を図ることも重要です。
職場環境の改善
職場環境を原因として、労働者の心身の健康が害される場合には、パワハラ、セクハラ等の各種のハラスメントがあります。
労働者から、パワハラ等のハラスメント被害の申告があった場合や、ハラスメント被害をうかがわせる状況を社内で発見した場合には、速やかに、ハラスメントの事実があるか否かについて、調査を行い、適切に職場環境を改善する必要があります。
ハラスメント事案では、加害者が、自分の行為が被害者に精神的苦痛を与えるものであることを認識していない場合や、職務上許される言動であると理解している場合が多くみられます。
そのため、ハラスメント事案について、事実の存在が確認された場合には、当該事案に対する処分等の対応のみならず、事実が確認できなかった場合であっても、ハラスメントに対する教育を施すなどして、ハラスメントが発生しない職場環境を構築することが必要です。
ハラスメントによるメンタルヘルス不調の防止
パワハラ等のハラスメント行為が行われた場合、これにより被害者となった労働者がメンタルヘルス不調を訴えることが多くみられます。当該ハラスメント行為について、加害者を処分し、再発防止策を講じたとしても、被害者のメンタルヘルス不調が直ちに改善するわけではありません。
そのため、ハラスメント行為を受けた者が、メンタルヘルス不調に至る前に、ハラスメント行為を発見し、対応する体制づくりをすることが重要です。
具体的には、ハラスメントに対する相談窓口を設置し、労働者に周知することで、より早い段階でハラスメントに対応することができる体制を整備することが重要です。
会社の健康管理責任が問われた判例
以下では、会社に従業員の健康管理責任いわゆる安全配慮義務違反が問題とされた判例を解説します。
事件の概要
Aは、大学卒業後、Yに採用され、ラジオ局ラジオ推進部に配属された。Yでは残業時間について、労働者の自己申告制がとられていた。Aは長時間労働を続けるうちに、うつ病にり患して、異常な言動をするようになった。しかし、上司らはAが休息できるような措置を取らなかった。その後、Aは自宅で自殺した。
遺族は、上記の長時間労働により、うつ病にり患したことが自殺の原因であり、安全配慮義務違反または不法行為を理由として、会社に対し、損害賠償を請求した。
裁判所の判断(事件番号・裁判年月日・裁判種類)
最高裁平成12年3月24日判決(平成10(オ)第217号・第218号)は以下のとおり判断しました。
①使用者は、その雇用する労働者の業務遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う。
②Aの業務の遂行とそのうつ病り患による自殺との間には相当因果関係があることを認め、Aの上司らは、Aが恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事していること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるための措置を採らなかったことにつき過失があるとして、Yの損害賠償責任を肯定した源信の判断は是認できる。
③被害者の性格などの心理的要因を損害賠償すべき額の決定にあたり一定の限度で斟酌することはできるが、労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様などが業務の過重負担に起因して損害の発生または拡大に寄与したとしても、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、その性格などを損害賠償すべき額の決定にあたり、斟酌することはできない、として、損害額の3割を減じた原審を破棄した。
ポイントと解説
本判決が示すように、使用者は労働契約に伴う安全配慮義務として労働者の健康に配慮する義務を負っています。
長時間の労働により、うつ病を発症し、労働者が自殺した事案においては、労働者の死亡という結果に労働者の性格などが影響していますが、本判決の判断枠組みに従い、過失相殺を認めず、損害の全額の賠償を使用者に認めるのが、裁判所の趨勢です。
長時間労働を原因とするうつ病の発症については、因果関係の存在が争点となるところですが、裁判例においては、精神障害の労災認定基準を参考にし、長時間労働がある場合にはうつ病の発症との因果関係が認められています。
労働者の労務管理を怠り、長時間の労働を容認することは、労働者の健康を害するのみならず、これを原因とした、多額の損害賠償請求リスクが生じることを意識すべきです。
従業員の健康な働き方を目指すなら、企業労務に詳しい弁護士に相談することをお勧めします。
従業員が健康的な働き方ができることは、生産性や業績の向上など効果があるだけでなく、使用者の損害賠償リスクを軽減するといった効果もあります。
しかし、企業の置かれている現状や企業文化などから、従来の働き方を変更することは容易ではありません。
そのため、法改正により労働時間の上限規制違反に対する罰則が設けられるなど、国は、法規制を用いて従業員の働き方を変えようとしています。このような法規制や法的リスクを理解することが、企業が、従来の働き方を変更するきっかけとなるでしょう。ぜひ、労務に詳しい弁護士にご相談いただき従業員の働き方を変えることを目指してください。